総高1.8メートル、硬質輝石安山岩で造られ、その構造は、塔身・笠・請花・宝珠からなり、基礎の施設は別段見受けられない。塔身は前面を削平してあるが、他の三面はほとんど加工のあとはなく、自然のままである。下部は大きく、上部にゆくにしたがって次第に細まっている。塔身の頂部には袖が造り出され、これが笠にうがった孔に、はまるようになっている。笠は円形に近いもので、宝珠と請花とは一石からなっている。
各部の大きさは、塔身の高さ1.43メートル、幅は下部0.59メートルで上部にゆく程細く、最上郡は0.18メートル、頂部に高さ0.04メートルの袖がついている。側面下部の幅は0.16メートル、上部は0.15メートルでほとんど同じ厚さであるが、最上郡は急に細まって0.12メートル程度である。笠は高さ0.15メートル、請花は0.07メートル、宝珠は0.12メートルである。
なお、塔身上部にハク、その下方にキリークの種子があり、更にその下に
文永六年 己巳 四月十五日 造立者 僧廣坊右志物為往生極楽
とある。 (『べっぶの文化財』・『別府市の文化財』
所収、入江英親氏稿参照)
笠塔婆について
笠塔婆は、板状または柱状の背の高い塔身の上に・笠・宝珠をのせた塔をいい、 死者の霊を慰めるための供養塔。
一般的に、笠塔婆の上部に仏像を彫刻したものや、梵字を独立させたものなども残っている。平安時代末期から鎌倉時代になると、角柱の上に蓋石だけのを置いた簡単な形が出来、全国に拡がり、最も多い。
この別府にある笠塔場は、文永6年、つまり1269年、鎌倉期のもので古い部類に入る。梵字が入っており、これは鎌倉期
笠塔婆の特色でもある。
全国的には塔身のみ残っている場合が多く、当笠塔婆のように笠が当初のまま残っているのは貴重である。 (文責 安部浩之)
所 在
旧ふるさと資料館にあったものが現在は、下記 別府市美術館 民俗資料室にある。