この五輪塔婆は、もと東国東郡安岐町糸永部落近くの原野に所在していたものが、県外に搬出される直前、昭和37年頃、徳永常一郎氏が譲り受け、別府市西野口の同氏邸内に安置してあったが、昭和55年同氏より、別府市が寄贈を受け、別府市美術館に保管してあるもので、後目天皇在位公園に移される予定である。
塔婆の構造は、長足の五輪塔を方柱状に置いた形式で、方枕上の五輪塔の水輪は、四方を円板状に削り、各面に、
バ ・ バー ・ バン ・ バク
の梵字か薬研彫が見られ、
・総高は2.03メートル、
・方柱は高さ1.1メートル
・横幅は下部は0.34〜0.31メートル
上部は0.30〜0.27メートル
であり、
・地輪は高さ0.31メートル、
・水輪円板の径は0.24メートル
・火輪の高さ0.14メートル
・風輪の高さは0.1メートル
・空輪の高さは0.14メートル
で、五輪塔各部の四方に、
「発心門・修行門・菩提門・涅槃門」の梵字が刻まれ、方柱部分には、梵字ならびに、
「南無阿弥陀佛」・「正安六年九月八日」
などの銘文がある。(実測値は入江英親氏による)
とある。 (『べっぶの文化財』・『別府市の文化財』
一部参照)
五輪塔婆について
塔婆とは、ストゥーパ(原典はサンスクリット)に語源があるといわれ、五輪とは、密教で説かれる宇宙の5大生成要素である・空・風・火・水・地を塔として形成したもの。全国的には、平安時代中頃から鎌倉・南北朝時代にかけて、供養塔として建てられ、しだいに墓標としても位置づけられるようになった。 ここでいう正安(しょうあん)は、日本の元号の一つ。永仁の後、乾元の前。1299年から1301年までの期間に創られたことを意味している。 (文責 安部浩之)
所 在
旧ふるさと資料館にあったものが現在は、下記 別府市美術館 民俗資料室にある。