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     正安五輪塔婆 (S49.3.19 大分県重要文化財指定)

 

  この五輪塔婆は、もと東国東郡安岐町糸永部落近くの原野に所在していたものが、県外に搬出される直前、昭和37年頃、徳永常一郎氏が譲り受け、別府市西野口の同氏邸内に安置してあったが、昭和55年同氏より、別府市が寄贈を受け、別府市美術館に保管してあるもので、後目天皇在位公園に移される予定である。
 塔婆の構造は、長足の五輪塔を方柱状に置いた形式で、方枕上の五輪塔の水輪は、四方を円板状に削り、各面に、

 バ ・ バー ・ バン ・ バク

の梵字か薬研彫が見られ、

 ・総高は2.03メートル、
 ・方柱は高さ1.1メートル
 ・横幅は下部は0.34〜0.31メートル
      上部は0.30〜0.27メートル

であり、

 ・地輪は高さ0.31メートル、
 ・水輪円板の径は0.24メートル
 ・火輪の高さ0.14メートル
 ・風輪の高さは0.1メートル
 ・空輪の高さは0.14メートル

で、五輪塔各部の四方に、

「発心門・修行門・菩提門・涅槃門」の梵字が刻まれ、方柱部分には、梵字ならびに、

「南無阿弥陀佛」・「正安六年九月八日」

などの銘文がある。(実測値は入江英親氏による)
とある。                              (『べっぶの文化財』・『別府市の文化財』 一部参照)

五輪塔婆について
塔婆とは、ストゥーパ(原典はサンスクリット)に語源があるといわれ、五輪とは、密教で説かれる宇宙の5大生成要素である・空・風・火・水・地を塔として形成したもの。全国的には、平安時代中頃から鎌倉・南北朝時代にかけて、供養塔として建てられ、しだいに墓標としても位置づけられるようになった。 ここでいう正安(しょうあん)は、日本の元号の一つ。永仁の後、乾元の前。1299年から1301年までの期間に創られたことを意味している。                                 (文責 安部浩之)

 

所 在
旧ふるさと資料館にあったものが現在は、下記 別府市美術館 民俗資料室にある。
べっぷしびじゅつかん
別府市美術館
住所  
大分県別府市上人ケ浜町1-1
詳しい場所はコチラ→ Map Fan