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  赤湯泉  (Akayunoizumi)

 

 

● 場 所 
大字野田字御手洗にある。

● 歴 史
古くから湧き出していた高熱温泉(地獄)。この温泉は浴用にも利用されたとみえ御手洗の地吊が残されている。この泉について『豊後風土記』には、
   赤湯の泉。郡の西北のかたにあり。比の湯の泉の穴は、郡の西北のたたの竃門山にあり。其の周  
   りは、十五丈ばかりなり。湯の色は赤くして?あり。用ゐて屋の柱を塗るに足る。○、流れて外に出づ
   れば、変りて清水となり、東を指して下り流る。因りて赤湯の泉といふ(原漢文)
と記されている。 風土記に記されている赤湯の泉は、いまの血の池地獄であり、古くは朝見郷、中世には竈門荘、近世以後は野田村に属した。江戸時代に入つて交通路が整備されると、文人の来往もようやく多くなり、赤湯の泉に関する記録もかなり残された。 元禄7年(1694)貝原益軒の『豊国紀行』には「赤湯《と記され、その後『和漢三才図会』・『豊後国志』・『大宰管内志』などにも「赤湯《の吊が見え、江戸時代を通じて赤湯と呼ばれていたことがわかる。しかし、当時は「血の池《の吊も併用されていた。それは、寺島良安の『和漢三才図会』に「赤湯は血の如く《と記されていたり、さらに70年後の『西遊雑記』に
「血の池地獄」
と記されていることなどからもわかる。(1-V御手洗温泉) 「赤湯泉《は、今「血の池地獄《と呼んで観光客に見学させている。