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  御夢想温泉

 

 

 

● 歴 史

御夢想の湯・八幡宮爨水ともいう。大字内竃(元竃門村 亀川町)にある。 古くから湧出し、浴用として利用された温泉。寛政七年(一七九五)、脇蘭室の『蘭室集略巻六〇、遊湯泉記』に、(上略)平衍萬畝。宜席草。我聞嚢昔海潮達竈山下。今海濱之防。日八町堤。距山足凡五六百歩。益桑滄之変・無。足惟者。麗有温泉四。其一施石幹。徑二尺許。爲八幡宮繋水。禁盥浴。餘概方六七尺。露泉也。山上有祠頗古。葺以銅。……(下略)とある。一湯は八幡宮の湯としてその使用規正をし、他の一湯は、方六七尺で露泉とし一般の使用を許していたものであろう。 なおここに記す「山上有祠」は、八幡竈門神杜である。 つまり、自然と神が結びついていた遠い昔、温泉は神仏の恵みであり、また神仏の泉でもあった。まさに神と自然が一体化し、長く庶民に親しまれた浴場と言えよう。 いずれにせよ。この付近は豊富な温泉に恵まれていたとみえ、「湯の森」の名が残っている。明治から大正にかけての湧出口は、いまの鉄道療養所付近だったといわれており、明治初期に刊行された『速見郡村誌」内竈村温泉の条には御夢想湯、村西字御夢想ニ在リ、泉質詳ナラス、能ク諸瘡ニ適ス、浴場壱ケ所、近傍農家ノミニテ逆旅ナシ浴客日ニ往返ス、其数詳ナラスと、病気治療に効験があったことや、浴場の構造や付近の状況などが記されており、昭和十四年の大分県統計表には年問浴客一八○とある。 明治三十七年(一九〇四)の『大分県社寺名勝図録」に、明治三十一年(一八九八)の銅板画が記されているが、その解説に、御夢想温泉、此温泉ハ八幡大神ノ夢想ニシテ、其ノ浴功高ク、遠近浴客年中絶ユル事ナき霊場ナリとあり、さらに明治三十九年(一九〇六)『豊後有名温泉之図」には、「御夢想の湯・本泉ハ実ニ夢想ニして諸病ニ効験著しと云ふ」とある。 明治四十一年四月、白潮道人の『亀川温泉みやげ」には』「……浴槽は石と穿ち、四面開渕人心爽決と云ふ塩梅だ-:-」と記した。 ついで、明治四十三年(一九一〇)の『南豊温泉記』には、「『御夢想湯』柴石の北、字湯ノ森に在り、是れ亜兒加里性にして、硫酸を含む温泉なるにより、悪瘡其他皮膚病を治すの功用を有す。」とある。 その後、同浴場は村民の大切な共同浴場として今日に至った。

場 所