浜脇一丁目(元浜脇村)にあった浴場。明治初期に編集された『豊後国速見郡村誌』浜脇村温泉の条に、泥湯、湯質鉄気ヲ混ス。圓木ヲ縦横ニ横タヘ枕トシ、平臥シテ腰脚ヲ埋メ、以テ全身ヲ温ム。最モ筋骨ヲ和キ、痘瘡ヲ解キ、疝癪等ニ宜シ。浴場弐ケ所。……逆旅三拾戸、浴客一ケ年六千人以上諸湯ニ往来シ浴スルモノナリ。とある。これによって、泥湯の構造・入浴のしかた。効能・浴場数、浴客などについて知ることができる。
また、明治十四年(一八八一)九月、濱崎義則、山田正冬が発行した『豊後州速見郡濱脇温泉場之図』を見ると、東温泉(東湯)の東側に大きな泥湯の絵が描かれており、砂に浴する数十人の浴客の姿が見られる。さきに記した泥湯の解説と全く一致した図である。このことから「浜脇泥湯」と言うのは、東湯に付属していた砂湯をさすものとみられる。
「浜脇の海辺は、大正期まで、いたるところに温泉が湧き出していた」と伝えられているほどだから、明治のころの人達は自然を生かした浴場づくりをうまくやっていたと言うことができよう(故糸長庄六、故友永直、両氏の教示による)。
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場 所