薬師温泉・原の湯・地獄原薬師温泉ともいう。 市有区営。鉄輪東六組(元南鉄輪村-大字鉄輪風呂本一五〇番地の二)にある。
明治初年からあった浴場(本田精蔵「温泉記録」)で誰でも自由に入浴していたという。昭和初期まで浴槽は一つで男女混浴であった。
昭和二十二年(一九四七)になって本田已太郎をはじめ受益地域の有志が世話人となり、当時の組員五九人の協力を得て浴場を改築した。総経費は六三万九、九〇〇円だったがそのうち四三万九、九〇〇円は地元有志の寄付、二〇万円は市の補助であった。
建物は一九坪、木造平家建ての瓦葺き。浴場は石造の豪華なもので、浴用と砂湯に分かれていた。浴用は大きな浴槽を板で男女別に仕切ったものであった。なお温泉はひょうたん温泉の泉源から引湯したものであった。
その後、維持管理が問題になり、昭和三十年(一九五五)一月二〇日管理室を増築、管理人が常駐して運営することになった。ついで昭和三十八年(一九六三)三月十八日には給湯に関する協議をおこない、同三十八年から市有の十万地獄から給湯。さらに昭和四十七年(一九七二)には浴槽をタイル張りに改善し今日に至っている。いまの組合員(昭和六十一年)は四〇名。浴場入口木札に氏名が記されている。入浴時間は六時から二十一時まで、清掃は二十一時以後となっている。砂湯は利用されていない。利用者は風呂本・井田・鉄輪東の一部と入湯客である。
浴場東側には、時津風部屋内の力士、九州頭取常盤崎 加藤新六の墓(明治二六・三.建立)や亀川からの客馬車の停車場址などがある。(本田精蔵氏の教示による)
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場 所