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  地蔵温泉

 

 

 

● 歴 史

大字鶴見、一四八四番地にある。一名、上の湯・地蔵湯とも言う。明礬温泉場を通過する別府-院内線から西に約五〇メートルに登ったところで、旅館街に囲まれている。古くから開かれた浴場で、「鎌倉時代の弘安年中、沙弥道忍(大友頼泰)が湯坪を掘り、地蔵菩薩を安置したときに始まった」と伝えられている。また江戸時代になり、鶴見村が 森藩領になってからは、歴代の頒主が保護を加え、すぐれた温泉浴場となった。明治以後になると、明礬は亀川・柴石・鉄輪などと共に湯泉場として発展、明治二十二年(一八八九)以後は、朝日村有の温泉浴場となり一層整備された。 大正期の浴場については、稗田武士の『別府温泉』に、「地蔵湯…朝日村有で、新築の大浴場があり、泉源は摂氏八九度で、悪瘡や疥癬(かいせん)に効があり、無料公開であった」と記されている。その頃、浴場の周囲には木賃制度の旅館がかなりあった。その料金は次表の通りであった。 いまの建物は、昭和四十二年(一九六七)に改築されたもので木造平家建。セメント瓦葺である。浴場は男女別各一槽。構造は旧来の方法を採用したもので四和土詰め、内部は板が張りめぐらされている。洗い場は古来より使用された床張石が利用されている(昭和四十一、十二「明礬地藏改築工事設計書」) 泉質は酸性泉で白濁不透明。僅かに炭酸ガスや硫化水素をふくむ。皮膚病に卓効がある。 入浴料は無料(昭和五十九年)。入浴時問は午前七時より午後一〇時迄、来客者は夜八時迄。地蔵に対する入浴者からの賽銭は受付ける(二〇円程度)。


場 所