古くは観海寺の湯・観海寺温泉とも言った。観海寺三組にある。昭和六年(一九三一)十月二八日の大火後復興に当って観海寺復興泉と改めた。
復興泉になってからの建て物は、瓦葺きの木造二階建てで、一階を浴場と店に宛て、二階は居問になっており管理人が居住していた。
昭和八年(一九三三)観海寺旅館組合が発行した『観海寺温泉入浴心得』には観海寺温泉分析成績書場所 別府市観海寺温泉本鉱泉ハ無色清澄ニシテ臭気ナク、味ハ梢々鉱性ニシテ佳味ナリ、気温摂氏七度ニ於テ泉温五十六度ヲ示シ、反応ハ微酸性ナルモ、煮沸後微弱アルハカリ性ニ変ズ比重ハ摂氏十五度ニ於テ一、○○〇四ナリ、本泉一リットル中固形物総量八〇、七七二五ニシテ……(中略)
郡、含炭酸単純泉ニ分類セラルベキモノニシテ虚弱者、病後恢復期、慢性胃腸病、肝臓及胆嚢、慢性病、尿路加答兒等ニ対シ医治的効果ヲ期待シ得ルモノナリ(下略)。とある。
また、同八年当時観海寺には、白雲山荘、錦園、観海荘、太喜元屋、松葉屋、寿屋(白湯)、朝日館、坂本屋、湯の元、三日月、紫雲荘、清風館、杉の井などがあった。
復興泉の建て物は、戦後になっても長く利用されたが老朽化したため、昭和五十一年(一九七六)春改築された。落成式は六月末であった。これがいまの復興泉である。
昭和五十九年(一九八四)三月の入浴料は、大人一人一〇〇円、子供一人六〇円であるが回数券所持者の場合は大人六〇円、子供四〇円で、入浴時問は午前七時から午後一〇時三〇分まで。経営は市有区営である。
なお、地域住民の温泉に対する感謝の念はあつく、一月八日と八月八日には薬師祭がおこなわれる。なお本大祭は八月八日で、その祭典は例年観海寺でおこなわれている(観海寺温泉(本田喜統氏の教示による)。
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場 所