大正十五年(一九二六)六月、市街地の北進にともなって、行合町が四、二七四円を投じて創設した木造瓦葺き大きな丸柱のある二階建ての浴場。創立当時地域住民は、その壮大さに目をみはったという。
創設当時」は自噴の温泉浴場であったが、その後しだいに湯の量がへり、腹ばって入浴する程になったため、行合町では再度掘穿し、いまでは豊富なお湯を供給している。
経営は、古くから行合町の区有(昭和八、「別府市誌」)であつたが、いまは駅前本町の町営となり、管理者をおいている。入浴料(昭和五十八年)は一人一カ月四五〇円、七〇才以上二〇〇円、八○才以上は無料である。高令者に対する配慮が見られる。
なお、昭和四十七年以後は二階を公民館として利用している。
昭和三十二年(一九五七)の衛生研究所調べによると、泉質は含食塩重曹泉で無色透明。泉温は平均五三、五度。浴用の適応症は神経性諸病・創傷・皮膚病・婦人病・リュウマチなどで飲用適応症は慢性胃腸カタル・胃酸過多などであった。(『大分県温泉調査研究会報告』)。
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