元町(元別府村)の海岸(港上)にあった砂湯の上り湯である。 はじめは、きわめて簡単な建て物で長く不便が続いていた。
しかし、別府町は大正八年(一九一九)九月、二、七二五円を投じて鉄筋コンクリート造りの高等砂湯(上り浴場)に改築した(一書に三月とある)。
浴場は一等と二等に分かれており、一等の入浴料金は三〇銭で、砂掛け湯女付きで浴衣を提供した。浴後は二階の見晴らしのよい休憩室に案内し、茶、菓子、名所絵葉書などをサービスした。
二等は入浴料金二〇銭で、矢張り砂掛け湯女が付き、浴衣を提供し、浴後階下の休息所に案内しコーヒーを出すことになっていた(大正九年板井輾快「別府温泉案内)。
つまり入湯客は、浴場の休憩室や休息所から別府湾の風景は勿論、別府港に入る紅丸(くれない丸)などを望見し、入湯気分にひたっていたのである。
このころ温泉行政に対する町の姿勢は前むきであり、田の湯温泉の改築、温泉神社の創建などがある。
来て見ればさすが別府は湯の港波打ちぎわの砂もお湯なり 寒心斉
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場 所