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  亀陽泉海岸砂湯

 

 

 

● 歴 史

亀川亀陽泉の東方海岸にあった砂湯。明治三十七年(一九〇四)上田延成の『大分県杜寺名勝図録』を見ると、亀陽泉東方海岸の亀川港突堤北側に砂場があったことがわかる。 この図によると、明治三十年当時、亀川港の北川突堤は未だ完成しておらず、海岸は広い砂浜だった。晴れた日の砂浜入浴であろうか、傘をさして砂に埋まる五人の浴客、傘をささない二人の浴客の姿がみえる。 なお、この砂湯は、いまの新川口の南方に当る海岸であったが、後年になって埋め立てられ住宅地となった。(亀陽泉)

場 所