寿温泉 ( ことぷきおんせん ) 一名床下の湯・床の下湯とも言う。
楠町11(元別府村)にある浴場。
もと同所の柳橋畔側、理髪店の床下にあったので「床の下湯」と名づけたという。
この浴場の歴史は古く、明治32年(1899)、当時の湊町区の有志が相寄って相議し、浴場として改造をおこなったのが発端である。
明治39年(1906)4月の『豊後有名温泉之図』には、
床下湯医治効用は子宮病、血の道、産前産後の悪わり、難産又は流産の癖ある人、月経の不順より起る諸病、月経前後に痛みをおこす症、子宮出血、白血、長血、こしけ、腰足引つり、痛、逆上頭痛、めまい、下腹腰足の冷込みによろしと云、
とある。
大正に入ってからは町有の共同浴場となり「寿温泉」と改名された。
浴槽の底から湧き出る温泉は、特に婦人病や痔疾に特効があると伝えられていたため、昼夜の別なく、いつも満員でこみ合っていた。
大正13年(1926)8月、7.286円で改築され男も入浴できるようになった。
このとき並湯は無料公開、上等湯は五銭から20銭であった。
大正14年(1925)5月14日、市費支弁外ノ市有温泉に指定された。
@市費支弁外の市有温泉は、柳温泉・寿温泉・梅園温泉などである。
A市は、温泉所在地の区民代表者五名以上に左記の三条件を付して管理させる。
1、入場料をとってはならない。特別な設備を施した場合は市長の承認を得て徴収してもよい。
2、区民代表は、温泉家屋を市長の指定した火災保険に入れ、受け取り人は市長とすること。
3、区民代表は、管理維持上必要な経費は支出しなければならない。
とある。
昭和に入ってからの同温泉については、昭和8年(1933)刊行の『別府市誌』に、
別府港の西二町にある区有婦人浴場なり。洋風二階建の浴場にして、内部の設備は婦人本位とし、階下を浴室に、階上を無料休憩所に充つ。浴槽は女湯二個(上等湯並湯)、男湯一個とす、一名、床下の湯と稱す
とあり、昭和12年(1937)安部登の『大別府案内』には、
男湯は、ホンノ申譯的に小さいのが設けてある。泉質が軟いので婦人病に適する…-(下略)
また同書に記されている写真によると、同温泉の建物は、洋風二階建の建築であった。
窓・屋根・入口などには、近代ドイツ復興式の工法を採用し、小さいながらもスマートな建物であった。
当時、利用者の話によると、潮が満ちると泉量が増え湯船から湯があふれていたという。
昭和25年(1590)高安慎一著『別府温泉療養案内』には、
寿温泉、市有、別府港町、泉質ハ含炭酸アルカリ泉、主タル医治効能ハ婦人病、新陳代謝病、内分泌病、痔疾、
外 観 (画像提供:大浦
利昭氏、2017.1.5撮影、以下6点) |
脱衣スペース
女 湯 (画像提供:おおうらルミ氏、2017.1.5撮影、以下
2点) |
浴 槽(蒲鉾型浴槽)
女湯 浴槽は2倍弱広く、更衣室は約3倍近い広さがある。
元来、婦人病に効果ありとされ、婦人浴場として始まった浴場である、男湯はのちに付け足された。
脱衣スペース
この頃と現在を比較すると、入口の温泉マーク表示くらいで、大きな変化は見られない。
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