一名、温水泉とも言う。大字内竈字温水(元古市村)にある。古くは別府湾がこの付近まではいっていたと見られるところ。温水と言うのは、貫見(ぬくみ)と言い、温水の転化したものであるという。
浴場は江戸時代既に開かれていたとみえ、寛政七年(一七九五)脇蘭室の『遊湯泉記』には、・-…(上略)・・:-行数百歩。得湯泉日貫見盆温水方言傳訛也。分爲ニ泓。一方六七尺。深ニ尺許。一差小。並屋之。色青蒼。少帯硫気。……(中略)-・-・餘流入渠猶媛。而小魚游。--・(下略)。
と記されている。この頃、既に二泓の浴場が完成していたのである。江戸時代の温水温泉については、賀来飛霞が書いた『高千穂採草記』にも記されている。つまり、江戸時代を通じて温泉場としての役割りを果していたのである。
明治になってからの建物は粗末なものであったが、明治四十五年(一九一二)には、広壮な二階建に改築された。この浴場の一階は、上等湯と並湯。二階は畳敷きの貸部屋になっており、温水高等温泉と呼ばれていた。
いまの浴舎は、戦後北側の山沿いに移転改築されたもので、木造平家建。浴槽は男女各一槽。巨石を組み合わせて造られている。浴場入口には、「温水泉」と横書きされた樫の扁額がある。
泉源は近くにある湧出泉で、古くは高温であったが、最近になって泉温がひくくなった。利用者は組合員のみで、外来者は許可がなければ入場できない(片野けんじ氏の教示による)。
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場 所