吉弘町(大字南石垣字干疋)にあった浴場。この浴場は望洋泉閉鎖による対策として検討され、堀田温泉を泉源とした引湯温泉だったが今は廃止されている。
浴舎は吉弘神社参道南側、旧県道沿いにあり、藁葺き屋根。利用方法は男女混浴で村民の情報交披場として親しまれていた。後になって干疋庵西側に仮設され「千疋温泉」と呼ばれるようになった。
しかし、この温泉は「古屋敷温泉」とともに狭隘であり、管理掃除などは各戸持廻りで運営される有様だった。戦後になって廃止され、北部温泉(現吉弘第一温泉)に統合された。(屋田辰己・福永忠利著『吉弘温泉年代史』)による。
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場 所