養気泉とも言う新別府(元鶴見村-朝日村)実相寺山の北方にあった温泉。大正三年(一九一四)二月、大田町出身の干寿氏が中心になって土地の有志と相議し、当時の朝日村の土地五万坪をえらび開墾して海地獄の熱湯を引き、一区三百坪毎の宅地に温泉を供給し別荘地とした(大正四、「通俗別府温泉案内」著者不詳)。
現地は、一五分の一の斜面に東西の幹線を開き、南北に支線を設けた宅地。大正三年(一九一四)二月会社設立。同年五月土地整理工事に着手、同四年三月竣工。同三年二月温泉引用工事着手、同三年七月完成した。
当時造成された宅地は希望者に売却したり貸地としたが、貸値は一坪に付一一円より一三円まであった。飲料及び使い水は春木川より引用した。
(この施設は、浴場そのものを目的としたものではなかったが、全戸に浴場が設けられる施設であったため、参考のためにここにおさめた。)
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場 所