天満町一一-一〇にある。天満町全部と幸町の一部を入浴範囲としている。
戦前、この地域には浴場がなく別府に住みながら温泉に浴することができないありさまであった。
しかし、町民有志の努力により、昭和二十六年(一九五一)十月三日には、浴場建設の用地を天満町一〇番一〇号(当時境川一五三五の一)に確保することができ、昭和二十七(一九五二)七月には取得地を天満温泉組合の所有地として宅地に地目を変更し、地域住民の協力で宅地造成が完了した。
同年九月には、天満温泉家屋が完成、さらに市営堀田温泉々源より観海寺、明星学園前、富士見九丁目、大仏前通を引管し配湯工事が完了し、昭和二十七年(一九五二)十月一日入浴営業を開始した。
その後、堀田からの配湯状況が悪くなったため、昭和三十九年(一九六四)には笠置ボーリングに依頼して浴場地域内境下一五三五-一に堀削を開始し二三一メートルに達したとき摂氏九九度の温泉を得ることができ堀削は成功した。泉質は純弱食塩泉(昭和四十二年衛研調)であった。
昭和三〇年(頃)には、木造二階建の浴舎を改築し、二階を集会場にあてたが、温泉の噴気による腐触がすすんだため、昭和四十五年(一九七〇)十二月五日には総工費八六〇万円でいまの建物に建てかえた。
なお、浴場前には薬師仏が祀られており、その石殿には「昭和三十一年三月一日」とある(阿佐照雄氏の教示による)。
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場 所