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  鳥の湯

 

 

 

● 歴 史

南立石一区(元立石村-大字南立石字鳥の湯一七六五)にあった浴場。昭和初期まで温泉が多量に自然湧出し、路傍や水田の問を流れ下っていた。 この浴場について「立石村明細帳手控」(古屋文書)に、「鳥の湯、病気ニ相応仕侯湯ニ而ハ無御座、村方之もの斗入湯仕侯」と記されている。この記録によって、この温泉が病気治療に効能があったことや村民だけが入湯していたことがわかる。村明細帳とは、江戸時代に庄屋が作成した帳簿で、米の出来高、年貢高、耕地、山林、原野、河川、水路、杜寺、温泉、作間の稼などを記したもので支配者に差し出したもの。 手控とは、明細帳の重要部分を簡略に抜き書きしたもので庄屋が手許においてあったものである。(古屋文書) ついで、明治二年(一八六九)の「立石村高反別銘細帳」(古屋文書)に、「一、出湯泉場、但堀田・観海寺・板地、三ケ所、是ハ春秋湯治人御座侯」と記されているから、湯治人が訪れるようになっていたことがわかる。 その後明治・大正・昭和初期は、村民の入湯する公衆浴場として長く利用された。しかし、昭和十年代になって廃止。戦後になってからは、別府市街地への供給温泉量が減少したため、鳥の湯でも突き湯 をおこなった。湧出する多量の温泉と市有温泉に供給するためである。もちろん浴場はなくなっており泉源としての役割りを果しているだけである。 泉質は単純温泉で微白濁、無味、無臭で泉温は五七度である。(昭和三三・二三・二五、九大温研調)

場 所