鶴見園跡地にあった公衆浴湯。昭和五十一年(一九七六)十二月二十六日別府市綜合振興センターが別府市から委託管理を任されて営業していた。
開業中は、正月のザボン湯、五月五日のショウブ湯、敬老週問のサービスなどがおこなわれていた。昭和五十九年三月末まで八年間の利用者は、総数三三万六、六七七人。内訳は、大人二五万五、一六四人、小ども八万一、五一三人であった。
昭和五十九年(一九八四)四月十一日以後は無料開放。四月二十日の最終日は、先着百人に竹鈴を進呈。午後五時にテープで「螢の光」を吹鳴して八年間の幕を閉じた。
閉鎖の理由は、旧鶴見園跡市有地の一部二万一、八七〇平方メートルを売却したためである。
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場 所