南立石本町五組(元立石村↓南立石村)にある。本町所有、同町経営の公衆浴場。 歴吏は古く、明治四十三年(一九一〇)の創設であるという。
創設当時は、男女混浴の露天で、泉源は朝見川畔にあったが温度が低かったため、現地の北東崖下にある鳥の湯泉源から噴気を誘導して鉱水を暖ため浴場に送って利用していた。加温の方法は、タンク内に大石・小石・送水管・藁等を積み重ね、その上をさんわで封じて、タンク内に蒸気を送り、鉱水を流す装置であった。
しかし、昭和の初めになって噴気の温度が下ったため、昭和二年(一九二七)鶴見地獄泉源から給湯。さらに昭和十年別府市に合併してからは堀田泉源から給湯した。
戦後になってからは、烏の湯泉源から噴気をあげ、蒸気吹き込み式とした。浴槽は一泓で男女混浴。巨石を組み合わせたものだったがこれは野田村の長さんが刻んだものだったという。
浴舎は、創設当時は藁葺きであったが、昭和初期に南立石校の移転に際し古材を利用して建てかえ、さらにロープウウエイができたころ木造平家建て瓦葺きの建物とした。
いまの建て物は、昭和五十九年九月上旬着工、十一月未完成したものである。これは昭和十年別府市に合併する時の契約条文の中に温泉の改築がうたわれていたことや、九州横断自動車道建設事業に関連して地元からの要望があったことから、温泉敷地七六平方メートルを市開発公杜が海雲寺から先行取得、市有区営温泉として新築したものである。
建て物の面積は四二・九平方メートル、木造平屋建て、男女各一泓である。 工事は、本体工事を吉川建設工業、電気排水工
事を吉武電設施工、工費は七百万円であった。 入浴料は一人一カ月三〇〇円。
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場 所