● 歴 史
一名上田湯・上田の湯温泉ともいう。
明治初年の『速見郡村誌』には、
上田湯、湯質硫気ヲ混ス、疥癬、撒毒、□瘡、痒瘡等ニ宜シ、
と記されている。
また、明治41年(1908)加藤十次郎『別府温泉史』には、
本泉は、単純硫黄泉で、浴場は小規模であるが、地下より硫黄泉の噴出する態は誠に奇観である。
而して、硫化水素が多量に含んで居るので臭気が烈しい。
一「リーテル」中に固形分○・九五七四瓦を含有す…(中略)…此湯の北方峡谷の問一面に硫気を
蒸騰するが、其光景は、偉観と称するよりも寧ろ凄槍という可である。
と付近の状況をくわしく記している。
明治43年(1910)『南豊温泉記』には、
上の田の湯、観海寺温泉場より約二三町を隔てたる山問にありて、常に人跡の絶間なき湯場
なり。泉状白濁にして、浮遊物を混合せし単純硫黄泉なり…(下略)
と記した。この浴場は、昭和初期まで入湯者が多かったが戦後はすたれた。