吉弘町(大字南石垣字末行一〇-七-三)にある。市有組合営の浴場で、はじめは北部温泉と呼んでいたが、のち吉弘温泉となり、今は吉弘第一温泉と呼んでいる。
創設は昭和二十三年(一九四八)八月だが、それまでこの付近には、千疋温泉.古屋敷温泉などがあった。いずれも規模が小さく、前近代的な運営の浴場だったため、戦後になって北部温泉の開設をみるに至ったのである。
当時の浴場は、佐藤栄治寄贈の地積二畝一四歩、木造瓦葺平家建一棟(二七・七五坪)、便所一棟(一坪)、総工費三五万三、○○○円で、光町の後藤工務店が請負った。
当時入浴戸数は約一〇〇戸、入湯ノ人員は約三〇〇人、入湯費は一人一ケ月五円であった。なお、温泉は堀田泉源から四五・五度の温泉を五四キロ引湯するものであった。
今の建物は、昭和三十九年(一九六四)十一月二十日落成したもので、別府市と旧石垣村との旧慣廃止にともなう条件により改築されたものである。これは、総工費四九八万五、〇○○円で藤組が昭和三十九年六月十八日に着工。同三十九年十一月二十日竣工した。敷地面積は二八〇・三〇平方メートル。一階は一三九・〇六平方メートル。二階公民館部分は一三七・〇六平方メートルであった。
その後、第二吉弘温泉が建設されたため、昭和四十七年八月十七日以後、この浴場を「吉弘第一温泉」と呼ぶことにした(屋田辰巳・福永忠利両氏の教示による)。
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場 所