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   吉弘第二温泉

 

 

 

● 歴 史

吉弘町(元南石垣村)にある市有区営の浴場。昭和四十年(一九六五)代になって吉弘地区の人口は急速に増加、吉弘温泉(のちの吉弘第一温泉)のみではまかないきれなくなった。そのため、地域住民は新浴場の設置を企画。昭和四十五年(一九七〇)二月二十四日第二温泉設立の準備委員会を設置した。同委員会は敷地の確保・建設予算・資金対策などについて検討。旧国道沿いの荒金進氏農地を借用して建設することとし、荒金進氏との間に土地賃貸契約書を交かんした。昭和四十六年(一九七一)にか十五日にかわした土地 賃貸契約書には、(抄) ○賃貸人 荒金進 ○賃借人 屋田辰已 ○条項 (一部抜すい) 一、賃貸土地々目 田二二八平方メートル 二、賃貸期間中の土地公祖公課は地主側負担とする。 三、賃貸借料は一ケ年三、○○○円トシ、毎年十二月末持参払いとする。 四、期間、区画整理による換地指定の利用効力発生の日までとする。 五、禁止事項(以下省略) とある。つまり荒金進氏などの協力があって敷地の確保が可能になったのである。ついで同年九月には、第二温泉の敷地を六七・四二坪、家屋は平家建一八・一三坪、総工費三五三万九、○○○円とすることを決定。さらに昭和四十七年(一九七二)二月には設立工事計画最終案を確認した。確認書には、家屋二七〇万円、ボーリング一二〇万円、付属設備六〇万円、総額四五〇万円、施工業者は浅野建設とある。 工事着工は、同四十七年五月二日。完成は同年八月十六日。落成式は同四十七年八月十六日におこなわれ、町民待望の吉弘第二温泉の入浴が開姶された。当時の入浴料は、世帯割二〇円〜三〇円。人頭割三〇円〜一〇〇円。二ケ月以内臨時入湯者は一〇〇円〜三〇〇円。区外臨時入湯は一回一〇円〜三〇円であった(『吉弘温泉年代史』)。浴場の名称は、落成式の翌日八月十七日に「吉弘第二温泉」と決定した。この時から吉弘温泉と呼ばれていた浴場は第一吉弘温泉と呼ばれるようになった(『吉弘温泉年代吏』)。 その後、石垣地区画整理は順調にすすみ、人口は急速に増大した。昭和六十一年には世帯数一、一三六、浴場利用者は毎月平均六-七百戸、約二、○○○人と急増した。そのため、夕方のラッシュのときには混雑するありさまとなった。町民の間から「第二温泉を増築してほしい」という声がおこった。関係者は町民の声を背景にして方策を検討。同施設内に隣接して浴場設置を決定。昭和六十一年(一九八六)八月着工。同年十一月末完成した。 新浴場の建坪は五九・四平方メートル、既設浴場の男女間仕切り取り除き、天井・壁の塗りかえなどが完成した。工事費は両温泉合わせて一、〇五〇万円、新浴場は男子、既施設温泉は女子用とした。工事費は銀行から借用したため温泉料金を変更。戸数割一戸二〇〇円(旧一〇〇円)一人当り月三〇〇円(旧二〇〇円)洗髪料は無料と改正された。 なお、入湯規則については、次のように定められ公示されている。 「吉弘温泉は、温泉組合加入の組合員であると同時に、入湯登録者以外の方の入湯は出来ないことになっています。ところがそれを無視して不正に入湯された方には下記罰則料の申し受けを致しますので承知下さい。 ・未加入入湯者に対しては、 一、新規加入料相当額三、○○○円を罰則料として申し受けます。 二、更に発見月より温泉組合年度にさかのぼった月数分の世帯割、人頭割入湯料 を申し受けます。 ・未登録入湯者に対しては、発見月より温泉組合年度にさかのぼった月数分の人頭割、入湯料を申し受けます(屋田辰巳・福永忠利両氏の教示による)。


場 所