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   湯山東温泉

 

 

 

● 歴 史

湯山共同湯ともいう大字野田湯山下ン河原(元野田村)、柴石川上流左岸にある浴場。 古くは白然湧出の渓間温泉で、大正から昭和にかけては茅葺きの粗末な浴舎であった。 昭和六年頃(一九三一)杉皮葺きの家に建てかえられたが、戦後になって昭和二十五年(一九一〇)ごろ、湯山の人々の出資によって瓦費きの家に建てかえられた。 浴場利用は、古くは村民だけだったが、昭和初期の戦時中は、村民と軍が使用した。当時浴槽は三泓で、一泓(東側)は村民、中央は将校、残る右側の一泓は陸軍が使用した。当時は、豊富な温泉が湧き出していたので多くの人々がさかんに利用していたわけである。戦後になると軍は使用しなくなったが、湯山分校にキャンプに訪れた小学生などが利用することがあった。 昭和四十年台になると、温泉の湧出量がへったため突湯によって存続している現状である。なお、浴場東側には、白土を運搬する馬車が通ったという石造めがね橋がある。


場 所