別府歴史資料 デジタルアーカイブ  トップ

 
 
 大別府公園計画
 
 
『大別府公園計画』 京都大学教授 関口 鉄太郎博士
全 128頁
 

この書は、昭和12年(1937)京都大学 関口鉄太郎教授が別府市の依頼により編集した「別府公園計画」である。

亀川・朝日・石垣が別府市に合併された直後、「大別府」とよばれた頃の別府公園の計画書である。

特に、下記 年表の通り、この昭和12年は、別府国際温泉観光大博覧会の主会場として別府公園が使用された年でもあり、市はこの年、博覧会と並行して、この別府公園の今後の計画・扱いを模索していた のである。

内容は、「緒言」に続いて3章だて、

1、現代都市に於ける公園の使命
2,現代都市の公園計画
3,大別府の公園計画

からなる、特に3章においては、公園敷地内にとどまらず道路整備や全体的な緑地計画も射程に広範な利用計画が記されているだけに、当時の公園状況、道路事情、公共施設事情などが理解できる。

すでに公園の跡地利用計画については、米軍基地返還の前年のものとして、白土康代氏が発見(平成23年11月)した資料などが見つかっているが(毎日新聞、平成23年11月15日付)、米軍基地になる以前の利用計画として、それに並ぶ貴重な資料といえる。

詳細を見ると、

・温泉欲のみならず、水浴・空気浴・日光浴として
・動物園と植物園の計画にはじまり、社寺の林苑 ・ 公園式墓地 ・ キャンプ場

などが記されている。全体を貫通する視点として、興味深いのは、次の箇所

「別府は、其の前方に紺碧の別府湾を控え、後方周囲には海抜1,584米の由布、1,375米の鶴見山秀峰を始めとして大小の山相連り、その下方には丘陵、渓谷、森林、原野、湖水、河川等、多種多様の景観を現出し・・・・・・」
と記し、
・・・単に、温泉の都としてのみ見るのは大なる誤りである。・・・・これでは、折角別府へ来ながら僅かに別府の一部を覗いたといふに過ぎないのである。
と、指摘する。

この計画書には、充分現代の今後にも通用する指摘・計画がある。
過去の歴史資料を越えて、
改めて紐解き精査する価値ある資料と言える。

以下、一部ですが、デジタル資料として紹介いたします。

『大別府公園計画』 
PDFデータ
(前半30P分、4.5MB)

 

 

以下、関連資料として 「別府公園の歴史年表」 を以下に紹介します。

 
 
 
 別府公園の歴史
 

・大分県別府市青山町(大字別府字野口原)にある公園。
・日本の歴史公園100選に選ばれている。

草創期

明治40年 1907 ・10月に完成
・完成直後の11月7日には皇太子時代の大正天皇が巡幸
明治41年 1908 11月 山林約15000坪の地を園地として別府市が買収、築造する

●明治・大正期の別府公園
温泉神社、温泉場、休憩所等を設けた。しかし、不便な点が多かったので、大正に入ってから料理店用の亭屋・泉水・噴水・グラウンドなどを設置。

 

昭和

整備

博覧会期

昭和3年 1928 中外産業博覧会の会場
昭和4年 1929 別府公園東端に大分県殖産館(現青山小学校用地)を建設
※この建物の詳細は以下
・敷地面積1450坪、総建坪420坪(この本館・別館は焼失)、敷地代15000円、建築費33,988円。所轄業務は、商品紹介・見本陳列、試売、技術研究等。
昭和6年 1931 4月20日 公園内の別府球場着工。(同年10月31日竣工)総工費14,562円。
※この頃、別府市は観光による経済の浮揚を図るだけでなく、スポーツ振興にも力を入れていたので、グラウンド新設の声に応じて、技師友永清に設計依頼。東西及び北側は、造成時に掘り出された石を積み、10段のスタンドを設けた。
昭和12年 1937 別府国際温泉観光大博覧会の主会場
※この時の別府公園の面積は35,088u(約10,640坪)であった。(昭和12年大別府公園計画)
また、この時の東端、大分県殖産館は美術館として利用された。殖産館は戦時中は、陸軍病院の病棟として使用され、戦後は別府市立青山中学校校舎として使用されたが、昭和28年(1953年)4月1日からは別府市立青山小学校となった。しかし、昭和31年(1956年)2月2日は、この建物は焼失した。

米軍接収期

昭和21年〜
昭和32年
1946〜1957 ・別府公園を中心とした各地域は、米軍 基地として接収される。
(キャンプ・チッカマウガ。チッカマウガはチカマウガ戦争で知られるインディアンの呼称。)


左地図  出典:

『占領下の別府』
白土康代著 5Pより
(amazonはココ

この地図は
昭和30年の占領域を
現代の地図に示した図

左図、
灰色部分が接収域

※占領域内の詳細は、ココ
 

 

 

新別府公園期

昭和32年 1957 日本返還後、陸上自衛隊別府駐屯地として使用。
昭和51年 1976 駐屯地の別府市大字鶴見への移転に伴い、別府市へ返還。
昭和52年 1977 昭和天皇御在位50年記念公園指定。別府公園として整備
※第二次世界大戦前の別府公園のことを旧別府公園と呼んで区別する。
       
 
・別府公園のwikiページは、ココ
・別府公園の市役所ページは、ココ
・じゃらん 現在の別府公園画像は、ココ
・大分フォト観光ガイドの公園画像は、ココ
 

  

 
 過去のアーカイブ
 
 
 
(明治期 収入金覚帳・当座記録など)
 (← 画像クリックでご覧下さい)
 
 
 
 
 ・豊後風土記
 
 別府温泉 文献初出の元資料
 
 (← 画像クリックでご覧下さい)
 
 
 
・小野廉市長 祭文
  祭文関係所蔵 4点の1 )
 
 (← 画像クリックでご覧下さい)
 
 

 
・別府温泉博覧会 祝辞
  祝辞関係所蔵46点の1 )
 
 (← 画像クリックでご覧下さい)
 
 

 

Copyright:(C) 2009 BDA All Rights Reserved.