この書は、昭和12年(1937)京都大学
関口鉄太郎教授が別府市の依頼により編集した「別府公園計画」である。
亀川・朝日・石垣が別府市に合併された直後、「大別府」とよばれた頃の別府公園の計画書である。
特に、下記
年表の通り、この昭和12年は、別府国際温泉観光大博覧会の主会場として別府公園が使用された年でもあり、市はこの年、博覧会と並行して、この別府公園の今後の計画・扱いを模索していた
のである。
内容は、「緒言」に続いて3章だて、
1、現代都市に於ける公園の使命
2,現代都市の公園計画
3,大別府の公園計画
からなる、特に3章においては、公園敷地内にとどまらず道路整備や全体的な緑地計画も射程に広範な利用計画が記されているだけに、当時の公園状況、道路事情、公共施設事情などが理解できる。
すでに公園の跡地利用計画については、米軍基地返還の前年のものとして、白土康代氏が発見(平成23年11月)した資料などが見つかっているが(毎日新聞、平成23年11月15日付)、米軍基地になる以前の利用計画として、それに並ぶ貴重な資料といえる。
詳細を見ると、
・温泉欲のみならず、水浴・空気浴・日光浴として
・動物園と植物園の計画にはじまり、社寺の林苑 ・ 公園式墓地 ・ キャンプ場
などが記されている。全体を貫通する視点として、興味深いのは、次の箇所
「別府は、其の前方に紺碧の別府湾を控え、後方周囲には海抜1,584米の由布、1,375米の鶴見山秀峰を始めとして大小の山相連り、その下方には丘陵、渓谷、森林、原野、湖水、河川等、多種多様の景観を現出し・・・・・・」
と記し、
「・・・単に、温泉の都としてのみ見るのは大なる誤りである。・・・・これでは、折角別府へ来ながら僅かに別府の一部を覗いたといふに過ぎないのである。」
と、指摘する。
この計画書には、充分現代の今後にも通用する指摘・計画がある。
過去の歴史資料を越えて、
改めて紐解き精査する価値ある資料と言える。
以下、一部ですが、デジタル資料として紹介いたします。
『大別府公園計画』
PDFデータ
(前半30P分、4.5MB)
以下、関連資料として 「別府公園の歴史年表」 を以下に紹介します。 |