区分 |
西暦 |
元号 |
月 |
日 |
内 容 |
出 典 |
明治
明治 |
1871 |
明治4 |
5 |
30 |
別府築港が完成。 東西100間、南北80間の大きさで、工費2万両。 |
|
|
|
11 |
14 |
改置府県により、日田県は大分県と小倉県に分れ、別府は大分県に属す。大分県参事に森下景端が任命される。 |
|
1872 |
明治5 |
2 |
7 |
大分県は八郡に分割され、別府は速見郡に属し日出出張所の管制下に入る。 |
|
|
|
3 |
|
大区小区を設定。別府の属する速見郡は第二大区(17ヵ小区)となる。 |
|
|
|
6 |
2 |
大区小区制実施、第二大区は米良悔堂が区長となる。また、支庁を廃止し大区ごとに会所を設置する。 |
|
|
|
7 |
|
別府郵便取扱所が開設される。 |
|
1873 |
明治6 |
3 |
18 |
大区区長制廃止、25日に会所を廃止し、小区に用務所を設置する。 |
|
|
|
5 |
30 |
大阪開商社が蒸気「益丸」の定期航海を始め、日名子太郎に回漕業務を委託する。 |
|
|
|
10 |
|
志高溜池堤防決潰、池水流出、久保津留川を南流し、由布川に入る。
八幡朝見神社、八幡天間宮が村社に列せられる。 |
|
1874 |
明治7 |
3 |
|
別府郵便取扱所を別府四等郵便役所と改称。 |
|
|
|
11 |
|
鶴見火男火売神社焼失。 |
|
|
|
12 |
1 |
別府浜脇両村共立別府学校(現北小学校)開校。 |
|
|
|
12 |
11 |
亀川学校(現亀川小学校)が、亀川村旧里正宅を仮教場として開校。
鶴見支校、鉄輪支校(現朝日小学校)が開校。
紙屋温泉や浜脇東西温泉など、別府・浜脇の温泉浴場が県費によって新築される。 |
|
1875 |
明治8 |
3 |
|
大区小区制改編。 |
|
|
|
8 |
|
大暴風雨で別府港が大破損する。補修費は4,882円。 |
|
|
|
12 |
10 |
立石学校(現南立石小学校)が、海雲寺に開校。
安全丸・満珠丸・金比羅丸・凌波丸・大西丸が、別府−大阪間に就航する。
石垣学校 (現石垣小学校) が忠専寺に開校。
鉄輪渋の湯新築。 |
|
1876 |
明治9 |
6 |
|
別府を通る国道(小倉−府内)が三等国道となる。
天間学校開校。
この年の宿屋営業数は、別府40・浜脇30・南立石18・鉄輪34・亀川8・鶴見10・野田2であった。 |
|
1877 |
明治10 |
|
|
この頃の別府港移出入物資は、移出が生姜・米・青莚・炭・竹等、移入が砂糖・備後表・塩・大根・反物外・材木・魚・鉄等であった。 |
|
|
|
|
|
東山学校(現東山小学校)が安楽寺に開校。 |
|
1878 |
明治11 |
2 |
23 |
速見郡徴兵検査を実施。 |
|
|
|
11 |
|
郡区町村編制法が発布され大区小区制廃止、大区は郡となる。別府市域は速見郡に属す。 |
|
1879 |
明治12 |
2 |
|
浜脇にコレラ発生、その数20名に及び、5月まで大流行。 |
|
|
|
3 |
|
竹瓦温泉場が創設される。 |
|
|
|
4 |
|
万屋儀助が人工掘削の 「上総掘り」を導入したといわれる。(※他説もあり) |
|
|
|
5 |
|
浜脇向浜を中心にコレラ流行。患者237人、死者137人に及ぶ。 |
|
|
|
6 |
|
鉄輪郵便局が5等郵便局として開局。
清華泉(浜脇西温泉)改築。 |
|
1880 |
明治13 |
3 |
1 |
別府学校は別府浜脇村共立を解除、浜脇学校(現南小学校)が分離独立して開校。 |
|
|
|
11 |
|
南町に大分県警察別府分署を設置。警部1名、巡査19名を配置。
「山城丸」(300トン)別府−大阪間就航を開始。稲荷町(現在の千代町あたり)に、別府で初めての演劇常設館「紙健定席」が創業。 |
|
1881 |
明治14 |
|
|
この頃、運輸会社乱立する。
この頃、次第に入湯客増加し、浜脇東温泉・西温泉は、それぞれ25,000人の入湯客があった。 |
|
1882 |
明治15 |
|
|
枝郷に別府学校の分教場が開校。 |
|
1883 |
明治16 |
|
|
岡山開行舎が、「運輸丸」「幸運丸」 の2隻の外輪船を就航させる。鉄輪支校、鶴見支校が合併し、鶴輪学校となる。 |
|
1884 |
明治17 |
5 |
|
大阪商船株式会社創立。 |
|
|
|
8 |
30 |
郡区町村編成法により、500戸を目安に町村をまとめ連合村体制が敷かれる。 |
|
1885 |
明治18 |
5 |
|
宇和島運輸株式会社創立、「第一宇和島丸」が就航する。この頃から、別府で客馬車が走りはじめる。 |
|
1886 |
明治19 |
7 |
|
浜脇郵便受取所が開局。 |
|
|
|
10 |
28 |
別府村・南立石村の境界が実測され、縮図ができる。大分以北を国道35号線、以南を36号線と改称する。 |
|
1887 |
明治20 |
2 |
25 |
文部大臣森有礼南学校に来臨する。
宇和島運輸会社の「第二宇和島丸」が就航する。 |
|
1888 |
明治21 |
10 |
14 |
亀川小・石垣小合同で南立石の原野で運動会を行う。
この年、浜脇の戸数は620余、別府の戸数は、940余であった。 |
|
1889 |
明治22 |
4 |
1 |
市町村制施行。別府地域は、浜脇村、別府村、石垣村 (南石垣村・北石垣村・南立石村・東山村が合併)、朝日村
(鉄輪村・鶴見村が合併)、御越村(亀川村・野田村・内竈村が合併)の5村となる。 |
|
|
|
|
|
別府村は北町、浜脇村は湯ノ上、石垣村は南石垣、朝日村は鉄輪、御越村は亀川に、それぞれ役場を置く。
この年、神澤又市郎が上総掘りによる温泉人工掘削に成功したという。(※他説あり) |
|
|
|
|
|
|
|